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1979年秋田県男鹿市に産まれました。 大学入学と共に上京。 色々考えるところがあって、 このまま敷かれたレールに乗っていたら本当の私らしい生き方ができない。 一から自分で積み上げたい。 そう思って、両親の猛反対を押し切って大学を3年で中退しました。
なんて優しい味なんだ!と、驚き泣きながらほおばっていました。 自信はおろかパン職人がどんなものか全く解らなかったけれど、 以前から何でも作る事が好きだった事もあって、『ぴすとーれ』の門をくぐる事となりました。 みんながおいしいと思ってくれなくてもいい、 誰かの心をすくい上げるパンが焼けるようになりたいと、 それからは、無我夢中で走り続けて、 いっぱい泣いて笑って怒って、沢山の人たちに支えてもらいながら今に至ります。
お家をリフォームしながら、土と戯れ、 ハーブや野菜を育て、パンにも生かしていこうと思っています。
独立して、 一人でパンを焼くようになってから、 初めての事だらけ!いろんな事がありました。 嬉しい事、楽しい事、それだけではなくて、 辛い事もやっぱりあって、パンを焼き続けていいのか悩んだりもしました。 でも、そんな時いつも誰かのおいしいと言う言葉だったり、 パンが元気にふくらんでくれて、酵母も生きていて、 窯に火がともり、今日の一日を知らせてくれる。 誰かにポトリと滴を落とせたらと思っていてのに、 自分がポトリ、ポトリと元気をもらっている毎日でした。 そんな優しいみんなからのポトリのおかげで POTORI BAKERY のパンはもっともっとおいしくなります。 みんなのポトリでPOTORI BAKERY はもっと楽しくて笑顔いっぱい♪ 遊び心たっぷりに羽ばたきます。
札幌の古民家で産まれた子どもは3歳になりました。 子どもが産まれた当初は、 職人の手だった私の手が、お母さんの手になっていくのが嬉しくもあり、 またちゃんとパンが焼けるのか不安でもあり、手をそっと眺めていました。 私にパンを教えてくれた師匠の手はパンみたいだったし、 足の裏にバネが付いているような働き者の私の両親の手は、 これまた見事なごろりとした、なのに器用な働き者の手なのです。 そんなお母さんな日々の中でも色々なものが見えてきて、 子供のもっと「おいしい」の声を、「パンちょうだい!」のもっともっと元気な声を聞きたくて 試行錯誤して『こむぎちゃん』(新しい小麦の酵母)を育てました。 そして、今まで焼いた事のなかったパンやおやつも焼くようになりました。
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